「無常という事」小林秀雄 |
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2008-01-29 Tue 08:07
小林秀雄(批評家) 1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日)。 東京都千代田区生まれ。長女は白洲次郎・正子夫妻の次男と夫婦。『のらくろ』の作者田河水泡は妹の夫である。 日本における近代批評の確立者。批評の対象は、文学から古典、哲学、芸術全般に及び、同時代の知識人に大きな影響を与えた。
「小林秀雄」 私たちの高校時代、この名前は「名作」や「古典」と同じ意味を持っていた。「知」の象徴であったと言ってもよいだろう。 その原因のひとつが大学入試である。「日頃から小林秀雄の文章に親しめるだけの知力を持っていることは必須」だと教えられた。 しかし、小学校時代に少年少女文学全集を何冊か読んだだけ。中学時代は本を1冊も読んだ記憶なしという高1生にとって、「小林秀雄」はあまりに手ごわい相手だった。 とにかく前に進めない。たった一行が理解できない。理解できないから読む気力も薄れてくる。何度気を取り直して挑戦しても同じ結果に行き着く。そのうちに腹が立ってくる。「なんでこんなに難しく考えなきゃいけないんだろ?」となる。 しかし、そんな悪戦苦闘の中でも、小林秀雄の文を読むと背筋が伸びるような気がしたのはなぜだろう。批評家の揺るぎない自信のようなものがのり移るのか。それとも、自分は小林秀雄を読んでいるという自負心だったのか。 二十数年ぶりで文庫本を手に取ってみた。 『無常という事』が昭和17年の作品だということを、今回初めて知った。そこに並ぶ作品群がことごとく歴史と向き合っている。昭和15年〜17年という難しい時期に、最も制約から解放されて筆を進めることができるのが「歴史」だったのだろうか。 『無常という事』は、比叡山での思いがけない体験から始まる。叡山を「うろついて」いると、「突然、この(一言芳談抄の)短文が、当時の絵巻物の残欠でも見るようなふうに心に浮かび、文の節々が、まるで古びた絵の細けいな描線を辿るように心に滲みわたった」のである。 この体験を通して、小林は当時の「合理主義な」歴史観に対抗するための方策を提示しようとする。強まりつつあっただろう国粋的な歴史と唯物史観の間で、彼が模索し、人々に提示したかったのは「人と歴史の向き合い方」であった。 このテーマは、おそらく現代にいたるまで持ち越されている大きな課題であろう。時代が変わったからと言って、そう簡単に乗り越えられる課題とは思えない。 では、人と歴史の向き合い方とはどうあるべきか。 『文学と自分』の中で、小林秀雄が「わかっていただけるかどうかもわかりませんが」と前置きして学生たちに語ったのは大野道賢入道のことだった。徳川家康に憎まれ、最後は火あぶりにされてしまう道賢入道は、七転八倒するでもなく、じっと動かないまま真っ黒焦げになってしまう。 「死んだと思った入道が、ムクムクと動き出し、検視の脇差を抜いて検視の腹をグサリと貫いた。そのとたんに真っ黒な入道の身体はたちまち灰になったそうです。諸君はお笑いになりますが、ぼくは、これは本当の話だと思っています。」 小林秀雄の「孤高」とも言える人と歴史の向き合い方におそらく一般性はない。だが、「これもあり」だと私は思う。 二十数年ぶりの「小林秀雄」との再会。 やはり私は高校時代と同じように自分の背筋が伸びるのを感じた。と同時に、大きな安堵感を得ながら、今度は『本居宣長』を読んでみようと決めていた。 <社会科 金子さとる>
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