2008-03-19 19:37 | カテゴリ:学園
丸山真男(政治学者、思想史家)1914年 - 1996年。第一次世界大戦が始まる1914年、ジャーナリストの家庭に生まれる。大正デモクラシーの潮流の中に育ち、一高の三年生時に唯物論研究会の講演に赴いたために検挙される。助教授の地位にありながら召集され、広島で被爆。敗戦の翌年に発表した『超国家主義の論理と心理』以降、1960年代前半まで戦後日本の民主主義を代表する論客であり続けた。


丸山真男は学者として、オピニオンリーダーとして、戦後民主主義の思想と行動を牽引した。

民主主義が絶え間ない批判と対決によって発展し浸透するものである以上、その丸山真男といえども永遠に民主主義のリーダーであり続けることはできない。

しかし、「日本の思想」が発刊されてから約50年、再び読み直してみた時に、一文一文の背後から滲み出てくる学者としての姿勢と思想を語る者としての緊張感はますます輝いて見える。

丸山真男の文章には必ず彼の責任感と緊張感が寄り添っている。私がこの本を紹介するのは、このような姿勢を貫こうとする学者がいるということを、今の生徒諸君にも知ってもらいたいからである。

さらに注目してもらいたいのは、彼が古今の人物たちから抽出してくる文章の的確さである。それは「援用」というレベルを超えて、読者が著者と一緒になって論点のど真ん中を射抜く感覚を体験させてくれる。

その引用は、書いた人物の立ち位置や歴史的役割まで十分視野に入れているため、論敵たらんとする者は相当に無理な姿勢から弓を放たなければならなくなる。

そういうレベルで書かれているのが、この「日本の思想」である。

丸山真男が「理論家」の姿勢を語る一節がある。



理論家の眼は、一方厳密な抽象の操作に注がれながら、他方自己の対象の外辺に無限の曠野をなし、その涯は薄明の中に消えてゆく現実に対するある断念と、操作の過程からこぼれ落ちてゆく素材に対するいとおしみがそこに絶えず伴っている。この断念と残されたものへの感覚が自己の知的操作に対する厳しい倫理意識を培養し、さらにエネルギッシュに理論化を推し進めてゆこうとする衝動を喚び起すのである。(P.60)



おそらく、これは丸山真男自身の姿勢の説明でもあるのだろう。

丸山真男が、その存在の大きさゆえにさまざまな立場から批判されたことは容易に想像できる。それらの批判に取り合わなかったことが、彼の権威をむしろ高める結果になったという。取り合わなかったのは、文章があらゆる批判に耐えられるように計算されており、すべてが想定の範囲内だったからではないかと思えてくる。

かつて丸山真男は、小林秀雄などと並んで中高生の段階で登り始めなければならない知的な壁であった。私たちにとって、彼の履歴や時代状況との関わり方といったことがらは二の次。とにかく、文章を読むことに精一杯で、それ以上に頭を使う余裕はなかった。

時代状況は大きく変わった。この本の中に登場する名詞の多くや現実の雰囲気も遠い昔のことになってしまった。今の中高生が読んだ時に、何度頭の中に「?」が浮かぶことだろう。

しかし、そういった時代の制約をまともに受けながらも、丸山真男は読むべきである。人間が知的に成長するには経験したことがないほど見上げる相手との出会いと格闘が必要になる。

その格闘の相手が丸山真男であったら、それはいかにも広尾学園らしいと思う。

<社会科 金子 暁(さとる)>

日本の思想 (岩波新書)日本の思想 (岩波新書)
(1961/11)
丸山 真男