2008-06-09 19:07 | カテゴリ:学園
池澤夏樹 1987年、「スティル・ライフ」にて第98回芥川賞受賞。人間と自然との関係への思索を透明感に満ちた文体で表現した小説を多数発表する一方で、豊かな感性と明晰な叙述によるエッセイも好評を得ている。さらには、理工学部に学んだ経歴とギリシャや沖縄滞在の経験からも、既存の表現者にはない表現対象に対する独自の省察に富んでいる。小説に「真昼のプリニウス」「マシアス・ギリの失脚」「バビロンに行きて歌え」、エッセイには「ブッキッシュな世界像」「楽しい終末」などがある。本書は、その小説デビュー作品。



マグロ漁の取材中に海へ転落した新聞記者―「彼」は漂流の後に無人島へと辿り着き、サバイバル生活を経て文明社会へと帰還する。しかし「彼」にはランボーのタフな肉体もインディー・ジョーンズの機智も備わっていない。さらに「彼」には、展開に従って明らかにされるべき「個性」も無い。つまりそこには、読み手が「彼」というカプセルに乗り込み、読解に従い無人島生活を送るという準備がなされ、そこには否応なく「自己」と対峙する空間が読み手自身に与えられているのである。

 普段、私たちは実社会と精神世界、形而上的存在と形而下的な存在について考察する際に、実存を抽象化し精神世界・形而上的存在へと配慮を巡らせる。しかし、池澤はこれらの二値的存在に対して超然と俯瞰し、自己の視野領域を完全に自由な状態において叙述を進めていく。これは、以降の池澤作品のアルゴリズムを規定しているとも捉えられる。

 無人島生活という非日常は、日常において自己を照らし出す一切の他者を排除し、既有認識(スキマー)に彩られた「自己」と生まれたままの自己とを向き合わせる機会であり、必然として厳しい概念的葛藤が立ちはだかる。その葛藤は、無人島生活という不自由さとの葛藤を遥かに凌ぐ試練を与えてくれる。そして、その葛藤を経て得たまったく新しい「自己」を獲得した時、メタファーとして提示される「成層圏」へと浮上する自分に気付くのである。

 この作品を読み終えた時、思わず自身の認識を取り囲む「常識」や「あたりまえ」に疑問符を呈する自分に気付くのではないだろうか。このような、世間に蔓延る「常識化」のプロセスに対して精査しようとする態度こそは、これからの社会において最も求められる姿勢なのではないだろうか。



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(国語科 浅井靖生)


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