2009-05-23 01:29 | カテゴリ:学園
吉田 満(よしだみつる/1923年-1979年) 1942年に東京帝国大学法学部に入学。1943年10月学徒出陣。1944年12月、戦艦大和に乗艦し、前代未聞の巨艦特攻作戦に参加するも生還。敗戦後、吉川英治の勧めで『戦艦大和ノ最期』を執筆して、後に日本銀行に入行。『戦艦大和ノ最期』は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の検閲を受け、1974年まで数度の改稿を経て今日の姿となった。




私が文章の持つ凄まじい力を知ったのはこの作品によってである。

それまでも戦争を描いた作品にはいくつか触れていた。大学の入試問題や演習問題をきっかけに読み始めることが多かった。それらの作品で、私はそれまでの自分の想像のレベルをはるかに超えた現実の重さに直面していた。そういった中にあって、昭和20年4月2日から7日までの大和の最期を記録した本書から受けた衝撃はとりわけ大きかった。死に行く意味を求める乗員たちのぎりぎりの苦悶と果てしなく続く議論。そして沈没まで2時間という時間に凝縮された壮絶な戦闘。

人の書く文章がこんなにも読む者の心を動かすことが出来る。その動かす「力」の強さを思い知ったのである。それ以来、私は強烈な「力」を感じさせてくれる文章ばかり探し求めるようになった。ルポルタージュや記録に取り憑かれたのもその頃のことであり、その契機はやはりこの作品にあったと思う。

戦艦大和は世界最大最強の軍艦として誕生した。太平洋戦争初期、日本は英国の最新鋭軍艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈して航空機の優位性と時代を世界に証明した。にもかかわらず、その後も日本では大艦巨砲主義の路線は続き、日本海軍の威信をかけて生み出されたのが大和であった。「世界最強」であった大和は、巨艦としての強さの分だけ神秘的な響きをもって米軍将兵から恐れられる一方で、戦略的にも実戦的にも時代に遅れた「長物」という形で戦史に登場することになる。

戦艦大和は沖縄戦において、戦艦による特攻作戦というミッションを与えられる。大和が米空軍機の集中攻撃を浴びることで、日本側戦闘機の米艦隊に対する特攻作戦を有利にすすめる。燃料も指令段階では往路分のみという前代未聞の巨艦特攻作戦であった。この作戦に戦局を転換させる見込みがないのは大和乗組員を含めて関係者全員が認識していた。

吉田満は東大法学部在学中、学徒動員によって戦艦大和の副電測士としてこの沖縄特攻作戦に参加。奇跡的に生還した。「奇跡的に」というのは、この戦闘が絶望的なものであっただけでなく、いくつもの幸運な偶然が連続して何重にも積み重ならなければ、生き延びることが不可能だったからである。

一瞬目線を交わした兵士が直撃弾を受けて「消滅」する。船体の傾きを是正するための「無断注水」によって数百の機関兵が水没する。「作戦中止」後も、巨艦にふさわしい巨大な煙突に激流ととともに呑み込まれる兵士たち。海に落ちれば大和の巨大なスクリューに切り裂かれる。さらに、半径300メートル圏内は危険区域となる沈没時の渦流と大爆発。重油の海で救出を待ち一人また一人と見えなくなる生存者。

その中を吉田満は生き残った。

彼は軍人としての当然の責務として、大和沈没にいたる報告を詳細かつ冷静に行う必要があった。作戦の経過を細大漏らさず、主観を交えず報告する作業の繰り返しが、彼の目で目撃し、把握していた事実を記憶に強力に根付かせていった。この作品を一気に一日で書き上げるときに、何を考えるでもなく、文章が簡潔な文語体として始められたのはその故であろう。

彼の第二の責務は、生き残った者として死んでいった者たちの姿を世に残すことであった。これを生き残った自分がやらずに誰がやるか。全艦からの報告と指令が集中する分掌で司令官、艦長らの身近に最期までいた身である。ましてや戦闘前の兵士たちの苦悶から、さまざまな兵士たちの身の上話まで知る身である。書かずにはいられなかった思いが作品を貫いている。

そして、第三の責務。それは自分の新しい生を始めるという責務であった。

「戦争は、学生であった私たちの生活の全面を破壊し、終戦の廃墟の中に私を取り残していった。-しかし、私は今立ち直らなければならない。新しく生き始めなければならない。」(初版本あとがき)

「戦艦大和の最期」のもつ文章の力は、おそらくこの3重の責務が織りなす力を土台としているのだろう。さらに言えば、それらの責務の背後にずっとあるのが、この作戦に巻き込まれた将兵たちのやり場のない憤りである。それは太平洋戦争という国を挙げての行為が、いつしか歴史に残る愚行に転落し、その愚行にまんまと引きずり込まれてしまったことに対する憤りと捉えることも出来よう。

「進歩のない者は決して勝たない (中略) 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるのか 今日目覚めずしていつ救われるのか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか (中略) 白淵大尉の右の結論は、出撃の数日前、よくこの論戦を制して、収拾に成功せるものあり」

白淵大尉は兵学校出身たちと学徒出身者たちの乱闘の修羅場をこの無理矢理な「結論」で収拾しようとする。無理矢理な「結論」であることは誰の目にも明らかだったはずである。しかし、彼らはここで折り合いを付ける他なかった。自分を納得させざるを得なかった。

その無念さの持つ力こそが、「戦艦大和の最期」の強烈な文章の源であったのだとあらためて思う。

<社会科 金子 暁(さとる)>

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)
吉田 満