2008-12-21 20:24 | カテゴリ:学園
池田 潔(いけだ きよし/1903年-1990年) 日銀総裁・大蔵大臣を務めた池田成彬(米沢出身)の二男として東京に生まれる。パブリックスクールのリース・スクールで学び、ケンブリッジ大学、ハイデルベルク大学に学ぶ。帰国後、慶應義塾大学文学部英文科教授。『自由と規律』(1949年)はベストセラーとなり、60年間に及ぶロングセラーとなった。




およそ戦後の日本において、教育や学校のあり方というものに興味を持った者で、この本を知らない者はなかったのではないだろうか。イギリスのパブリックスクールについて書かれたこの「自由と規律」は、学校関係者にとっても時に応じて指針を与えてくれるバイブル的な存在であったと言ってもよい。

第1刷が1949年11月。かくも長く、広く読まれ続けた背景には、さまざまに揺れ動く日本の教育行政や教育の現場の対応の中、悩み迷った多くの教員たちを、この本が励まし、勇気づけ、新たな力を注入し続けたということがあったのではないかと思われる。

著者池田潔は、米沢出身者で三井財閥の指揮を執った池田成彬の次男である。第一次世界大戦後から満州事変の直前までという時期に名門パブリックスクールの一つリース・スクール、ケンブリッジ大学、ハイデルベルグ大学で学んだ、まさにエリートと言える。

ただ、もしこの本が、エリートによる他国礼賛型の体験談に過ぎなかったり、今の日本のように教育の時流に乗ってもてはやされただけのものであったとしたら、時間の経過とともに読む人も絶えてなかったであろう。

本書のポイントは、学校教育における際立った「強さ」は一面において大きな「弱さ」にもなることを踏まえた上で、その宿命とも言える「弱さ」を認識しながら策を講じる事でより理想的な「強さ」に到達できると説く点にあると思う。

どこの国のテスト結果が良かったからという一時の流行とはまるで無縁の教育観がそこにはある。そして、教育に携わった者なら誰もが求めてやまない普遍の価値がそこには描かれている。

たとえば、パブリックスクールのもつ課題について著者は次のように書く。

「これに反し、異常な才能を持ち合わせてこれを伸ばすことを許されず、しかも衆愚と妥協することを潔しとしない気概をもったものにとっては、これほど惨めな生活は考えられない」

その典型的な事例としてウィンストン・チャーチルをあげ、これはパブリックスクールだけの特質ではなくイギリス社会に通じる課題としている。しかし、それでもなお、である。それらの課題を解消することを得たパブリックスクールは他国の学校の追随を許さぬ「強さ」を発揮する。

この本の寿命の長さは、この稀有な学校モデルとしてのパブリックスクールの特質や長所によるところが大きいだろうが、著者自身のもつバランス感覚の見事さもあるのだろう。さらに、本書に散りばめられたパブリックスクールをめぐるエピソードの数々も実は大きな魅力となっている。

どんなに理を尽くして述べても伝えられない普遍的なものを、著者はパブリックスクールやケンブリッジでのエピソードで伝えようとしたのではないかと思う。それくらいエピソードが、何度読んでも同じ個所であらたな感銘を与えてくれるのである。しかも、読むたびに感銘は深くなっている。小泉信三氏はこの本の序の冒頭、「私は手から離さず読み了えた。多くの読者は同じ経験をするであろう」と書いたが、私の場合は、読み終えるまでに何度も何度も目を閉じて読むことを中断してしまう。毎回繰り返すことなのだが、どうしても本書に書かれたエピソードの情景を心に思い描かないわけにはいかないのである。

(ケンブリッジ大)カレッジの老給仕であるジョージの話してくれたというエピソードがある。

イギリスのスポーツと言えばクリケット競技となるが、永遠に不可能と言われた大記録を在学中に達成目前まで迫った選手がいた。新聞のトップニュースとなり、全英国が固唾をのんでこの偉業達成を見守る中、「スコアボードは九十三、九十五ときざみ、ついに九十九と出た。」あと1点で大記録である。「針が落ちるのも聞こえる」静寂の中で、どよめきがおこる。

守備についていた敵方の選手たちが、投手だけを残して全員引っ込んでしまうのである。もはやこの打者をアウトに出来る者などいないということである。

打者はただバットを差し出して玉に触れるだけで偉業達成である。しかし…。

この顛末はぜひ本書を読んでいただきたい。一つだけ書き添えておこう。この顛末に対する白髪の先輩たちの反応に、イギリスのパブリックスクール、ひいてはイギリス社会における「スポーツマンシップ」の本当の意味が読み取れる。

居合わせた先輩たちは『馬鹿な奴で』『ああいう馬鹿もののいる中は、まだまだわが帝国も…』と目の汗を拭きながら相顧みて膝を打ったというのである。

一生涯忘れられない教師たち。尊敬すべき級友・先輩・後輩たちとの思い出。国境や制度を超え、社会の要請や考え方の違いを超えて、目指すべき学校はある。どこの国の教師もそういった学校を自分たちの力で実現することを夢見ている。

もう一つ、本書中のエピソードを。

イギリスの芝は美しい。見学に来たアメリカの富豪が芝上でローラーを押している園丁にお金を握らせて芝の手入れの秘訣を聞いた。「水をやりなさい、ローラーをかけなさい。」そう答えた相手に富豪はさらにお金を渡す。園丁は同じことを答える。「水をやりなさい、ローラーをかけなさい。」富豪はさすがに怒りながらもさらにお金を握らせる。園丁は言う。「それを毎日繰り返して500年経つとこうなるんで。」しかも、この園丁は…というお話である。

イギリスのパブリックスクールやカレッジの強さである。悠長に500年かけても理想には近づけない。おそらく、当初から際立った特質を発揮できなければ何者にもなれなかったであろう。かつ、名門パブリックスクールやカレッジといえど、その際立った特質と裏腹にある欠点を不断に調整しながら進まなければ進化の止まった遺物になりかねない。

今、目の前にいる生徒たちに自分の持つ力の最高レベルを追求して提供し続けること。生徒たちは限りなく伸び続けるし、教師の成長の軌跡ははるか彼方までつながっていく。

「それを毎日繰り返して500年経つとこうなるんで。」

広尾学園でこの言葉をつぶやく人間はどんな人物であろうか。楽しみである。


<社会科 金子 暁(さとる)>


自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)

池田 潔