2012-12-10 10:57 | カテゴリ:学園
蓮池 薫(1957年9月29日-)新潟県柏崎市出身。1978年7月31日、中央大学法学部3年在学中に、夏休みで実家に帰省していたところを当時交際していた女性とともに、新潟県柏崎市の海岸で北朝鮮の工作員に拉致され、24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされる。2002年10月15日帰国後、新潟産業大学で韓国語の非常勤講師・嘱託職員として勤務するかたわら、2004年9月24日中央大学に復学。勉学に励みながら翻訳者としての仕事をこなし、2005年に初訳書『孤将』を刊行。2008年3月、中央大学法学部卒業。



「私は子供を育てることだけに神経を使い、力を尽くした」

 それが、北朝鮮に拉致され、特殊な社会環境の中で24年間を生きた蓮池夫妻の「生きる目的」であった。自らの存在−日本から拉致されてきた日本人という存在—を、親しい人にも、たとえわが子たちにも明かすことが出来ない環境。「招待所」と呼ばれた施設の中で、社会的に活躍することも、仕事に生き甲斐を見つけることも許されない生活。永久に故郷には戻れないのではないかと思いながら生きる夫妻にとっては、これが残された「生きる目的」であった。

 その一方で、蓮池氏はきわめて客観的に北朝鮮の人々の生の姿を描く。人々は、もはや社会主義が国民を結束させる理念ではあり得ない社会の中で、体制維持の政策や度重なる失政のもとで、国家規範とはまったく違った生き様を使い分けて生きる。90年代の食料危機以降、女性たちが男たちの代わりに市場に飛び出し「公然と党の指示を無視」するようになったのは「家族の命をつなぐ」ためであった。

 立派な権威も理念も、ぎりぎりに追い込まれた人々の内から湧き起こる情念の前に色褪せる。「あの国」の変化は、そういった国民の情念の噴出に俟つしかないのかもしれない。

振り返って「この国」である。「拉致」という、人類に敵対する理不尽な行為を突きつけられた私たちの前にはさまざまな対応策がある。しかし、その対応策を本当に突き動かすのは、夫妻の胸にも、北朝鮮の女性たちの胸にも、私たちの胸にもある、人としての本能的な情念であることを忘れてはならないと思う。

※月刊新聞『モルゲン』2012年12月号掲載いただいた書評を転載。

<金子 暁>


拉致と決断拉致と決断
(2012/10/15)
蓮池 薫



拉致と決断拉致と決断
(2012/10/15)
蓮池 薫