2013-01-02 18:08 | カテゴリ:学園
大村はま(1906年-2005年)52年間にわたって国語教育の可能性を真摯な実践をもって切り拓いた教師。戦後は東京都内の中学校で教鞭を取り、大村単元学習として知られる授業実践を生みだした。1963年には広島大学主催「ペスタロッチー賞」、1978年には日本教育連合会賞を受賞。また定年退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語教育の向上に勤めた。

苅谷夏子(1956年−)東京都大田区立石川台中学校で、大村はまに教わる。東京大学文学部卒業。大村はまの晩年、「大村はま国語教室の会」事務局長として全国の講演会や研究会に付き添い続けた。「教えることの復権」 (大村はま、苅谷剛彦と共著・ちくま新書) 「優劣のかなたに―大村はま60のことば」(筑摩書房)などの著書がある。



「うん。でもね、一つだけ、はっきり言えることがあるんだよ。先生はね、ぼくを大事にしてくれた。本当に、大事にしてくれた。」

中学校で厄介な存在として扱われていた生徒が、皆が熱心に作文に取り組む中で一人だけ作文に取りかかろうとしない。先生が、足音も立てずに近寄って、彼の原稿用紙に書き出しの文を書いて言う。
「続きを書いてごらん」
ついに書き始めた生徒に、頃合いを見計らって、先生はさらに数行書く。その不思議な共同作業につられて作文を完成させた生徒は、いつしか周囲からも一目置かれる「書く人」に育っていく。

それから50年後、この本の著者苅谷夏子さんがこの有名なエピソードを生徒本人に聞くのだが、当の本人は覚えていない。覚えてはいないが、満足げな口調で「本当に、大事にしてくれた」と語るのである。

私は、この作文指導の一つのきっかけとしてのエピソードにも惹かれるが、同時に宮沢賢治の教え子たちが「先生は自分を特によく見てくれた」と口々に語るというエピソードを思い出す。そして、この宮沢賢治の教え子たちの話は、まことに勝手ではあるが私自身の個人的な思い出にもつながって行く。これは教師が誰かを特別可愛がったというレベルの話ではない。実際にそういうレベルの教師に対しては何のエピソードも残らないし、思い出すこともないだろう。思い出す価値がないのである。

このエピソードの背景には、次のようなことがある。

「目の前に四十人の子どもがいたとき、その一人ひとりが、本人にしてみれば世界に一人の主役であること。かけがえのない「大事な大事なわたし」を持っていること。このことを心の底から実感し、集団として手際よく束ねられたらそれでいいという考え方に陥らないことは、非常に難しい。そんな中で、大村はまはあくまで「一人ひとり」を仕事の基本としたが、実を言えば、「一人ひとり」という以外の人の見方をそもそも知らないのだ、という言い方を自分でしたことがあった。」

「一人ひとり」という以外の人の見方を知らない、あるいは「一人ひとり」という以外の人の見方をしないところからのみ、本当に「大事にされた」という実感は多く生じてくるものなのだと思う。大村はまの指導から学ばせてもらおうとする時、周囲から垣間みた展開の見事さや指導の的確さ、生徒たちのひたむきさに感嘆する前に、その前提となる「一人ひとり」という見方そのものに注目する必要があると考えさせられる。

この評伝は大村はまの祖父母の時代(幕末〜明治)まで遡ってその気質のルーツを探すところから始まり、99歳を目前にした大村はまの生涯の終焉で終わる。大村はま本人とその家族、そして学校の移り変わりに軸をおいた日本近現代史でもあり、学校現場における思潮の転変の中で、一人の教師がどこまで真摯に教育活動に向き合えるのかという可能性を丹念にたどった「教育の可能性」の書でもある。教師のあり方の、はるかな「頂き」とはどんなものであるかを見せてくれる。それは国語という教科に限らない。中学や高校といった学校の種類も関係ない。

その姿は「奇跡の教師」であると私も思う。その時代その時代に、読むことや聞くこと書くことに対して、あれほどまでに崇高な価値を生徒たちに実感させるその姿は、私等からすると「奇跡」としか言いようがない。「奇跡」は仰ぎ見るべきだと思う。だが、それは生身の人が実現した事実であって、彼岸の事柄ではない。「あれは奇跡だよ」という考えが、「あれは普通では出来ないよ」という結論であっては情けない。

実を言えば、学校という場所はそういう弱い言葉が通じやすいし、一般的にその弱さに流れてしまう場所でもあると思う。そこに、大村はま自身が教員人生を通じて悩まされる学校の性質のようなものがある。それは「集団として手際よく束ねられたらそれでいいという考え方」を教員自身が持ち、校長を含めた管理職の頭の中さえそういう構造になりがちな世界なのである。それは私立も公立も関係ない。

大村はまは、優れた教育者たちがいる環境の中で育ち、同様の感覚を持つ先輩教師や校長のもとで自分の指導の力を研ぎ澄ますことを通じて、妥協のない、甘さを許さない教育活動を創り上げた。それが「奇跡」のレベルだったのだと思う。

教科がどうあれ、どんな分掌であれ、学校に関係する者ならそのレベルを目指そうとする道は誰にでも開かれている。

大村はまが最後まで改訂を繰り返した詩がある。一教師が到達した境地を示す詩であり、もし存命なら、さらに手を入れ続けたに違いない詩である。

この最後の詩「優劣のかなたに」にいたった時、私は一気に視界が広がるのを感じた。大村はまが、その生涯で何を追い求めていたのか、私なりに少し理解できたような気がしたのである。

これもまた、大村はまが私たちに残してくれた授業の一つなのかもしれない。

(金子 暁)


評伝 大村はま ことばを育て 人を育て (単行本)評伝 大村はま ことばを育て 人を育て (単行本)
(2010/08/02)
苅谷 夏子