2008-03-07 11:08 | カテゴリ:学園
草野心平(詩人)1903年(明治36年)5月12日 - 1988年(昭和63年)11月12日。福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。若くして夭折した兄・民平の残した詩に影響を受け、詩を書き始める。青春時代の一時、広尾学園に近い天現寺周辺の下宿屋に住み、のちに麻布十番で屋台の焼鳥屋を開業した時もある。高村光太郎や萩原朔太郎らと親交を結び、宮沢賢治、八木重吉らの紹介に尽力。高橋新吉、中原中也らの同人とともに「歴程」を創刊している。



草野心平は「蛙の詩人」であり、「富士の詩人」である。(*)

大正の末、まだ無名であった宮沢賢治を「世界第一級の天才」と紹介し、自らは心平ワールドともいえる孤高独自の世界を築き上げた。

その表現は、子供が驚きや発見を言葉にしようとして出来ない時の歯噛みにも似ている。

世界を、洗練され、洒落た言葉で人々に伝えるのも詩であるが、心平のようにあまりに直截的に、かつ直感的に人々に伝えようとするのもまた詩である。


ああ自分は。
幾度も幾度もの対陣から。
ささやかながら小さな歌を歌ってきた。
しかもその讃嘆の遙かとほくに。

遙かとほくに。

ギーンたる。
不尽の肉体。

しい白い大精神。

(『富士山』作品第参より抜粋)

ここに合理性や装飾といった要素はどれだけ見出せるだろうか。あるのは心平の伝えたいという必死さである。その必死さから生まれる言葉に、心平の歯ぎしりを感じ、その向こうにある心平の世界に思いを馳せる。


冬眠

                        ●


                   『第百階級』より

この詩人を、私は一度だけ見かけたことがある。地元の図書館に立ち寄った時、出版記念の催しでもあったのだろうか、ソファに腰掛けている詩人がいた。和服を着たその姿は鮮明に記憶に残った。

学生時代、一度でも自分の目で見たということの影響は大きい。以来、本屋で草野心平の名前があると本能的に手を伸ばすようになった。

久しぶりに帰省した時、小さい頃から通いなれた田んぼの中の一本道を歩いていた。誰もすれ違う人のない夜だった。

足もとの田んぼの底から、仰ぎ見る夜空まですべてを蛙の声が包みこんだ。その瞬間、心平の真に伝えたかった世界に触れたと思った。

ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ

「誕生祭」という詩の最後はこのフレーズを25回にわたって繰り返している。なんでそんなに…と正直思っていた。

けれども、実際に蛙の声がすべてを満たす世界に身を置いた瞬間、心平の歯噛みと私の歯噛みとが重なったのである。

「その通り。その通り。そうでなければいけない。」

そう一人頷きながら、蛙の宇宙、心平の世界に身をまかせるように歩いた。


(*本人はこう呼ばれるのが好きではないと自ら言っている。)


<社会科 金子 暁(さとる)>

草野心平詩集 (岩波文庫)草野心平詩集 (岩波文庫)
(2003/04/16)
草野 心平