「坊ちゃん」 夏目漱石 |
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2008-02-12 Tue 11:11
夏目 漱石(作家) 1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日。近代日本を代表する小説家、評論家。本名は金之助。『吾輩は猫である』『こゝろ』など永遠に読み継がれる作品を残した。森鴎外と双璧をなす明治・大正時代の大文豪である。松山中学の教師を務めた後、イギリスへ留学。帰国後、『吾輩は猫である』を発表して一躍評判をとり、『坊っちゃん』を書いた。
「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている…」 齋藤孝の「声に出して読みたい日本語」にも載っている有名な出だしだ。 この出だしだけなら聞いたことがあるという人も多いのではないだろうか? 中学生の夏、読書感想文の課題図書として出逢ったのが「坊ちゃん」だった。 夏目漱石という明治の文豪の名前を聞くだけで正直うんざりしたものだ。 ところが読み始めてみると歯切れのいい文章にすぐ夢中になった。 出だしの後に、小学生の時分「いくら威張ってもそこから飛び降りることはできまい」とはやされ学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰をぬかしたエピソードが続く。 父親に「二階から飛び降りたぐらいで腰をぬかす奴があるか」と怒られ「この次は抜かさずに飛んで見せます」とキッパリ言い返すあたり、坊ちゃんの性分がうかがえてついニヤけてしまう。なんとも小気味好い。 とにかく喧嘩っ早く直情怪行の坊ちゃんが、物理学校をなんとか卒業しマッチ箱のような汽車に乗って四国の旧制中学に数学教師として赴任したところから物語は動き始める。 校長は狸、教頭は赤シャツ、英語教師はうらなり、数学は山嵐、画家はのだいこ。 赴任したばかりの坊ちゃんが同僚教師につけたあだ名だが、この本を読んで以来、そのイメージに似た人を見付けると「あっ、赤シャツだ!(腹黒い)」「この人、のだいこ(ゴマすり男)みたい…」とつい心の中で思ってしまう。 読書の楽しみは想像することだ。物語に引き込まれるほど自分の中で登場人物や風景が独自にイメージされる。挿絵などない小説は尚更だ。そこが視覚から入って先に誰かのイメージが植え付けられてしまう映画やマンガにはない面白さだと思う。 「それはバッタやのうて、イナゴぞなもし」 宿直の時、布団に大量のバッタを入れられた坊ちゃんが生徒を吊るし上げるとこんな言葉が返ってきた。べらんめい口調の坊ちゃんと伊予弁丸出しの生徒達とのやりとりも面白い。 大食いの坊ちゃんが天麩羅蕎麦を4杯たいらげると翌日黒板に「天麩羅先生」と書かれ、団子を2皿食べると「団子2皿七銭」と書かれる。温泉で泳ぐと「湯の中で泳ぐべからず」と貼り札をされ、赤手拭いをぶら下げて歩いていると「赤手拭い」と呼ばれる。 東京から来た新米教師に興味津々な生徒達があの手この手で試そうとする姿は、現代の学校と少しも変わらないではないか。これが100年以上も前に書かれたものとは到底思えない。娯楽性だけでなく日本人の性質もよく表していて、いつの時代に読んでも楽しめる。それがこの作品最大の魅力なのかもしれない。 痛快な青春小説のように思えるが推理的要素もある。赤シャツとのだいこは当初からうさんくさいし山嵐は敵なのか味方なのかわからない。どうもうさんくさい人間にはめられてる感もある。それらが文学の香り高く綴られている。結末は読んでからのお楽しみだ。 「後生だから、どうか坊ちゃんのお家のお墓に入れてください」 どんな悪さをしてもそれを認め盲目的ともいえる愛情で包み込んだ下女の「清」が亡くなる間際に坊ちゃんにお願いしたひとことだ。 「だから清の墓は小日向の養源寺にある」でこの小説は終わっている。 しみじみとした読後感の中で、もう一度最初から読み返してみたくなる一冊。 「名作は色あせない…」 ふと、そんな言葉が頭の中に浮かんだ。 <図書館 曽我部容子>
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